というわけで序の時と同じぐらいの文字数でネタバレてんこもりでやっちゃってますんで、まだ観てない人は絶対に読まないでねヽ(`Д´)ノ
例によってまた思いつくまま追記する可能性アリ。
『序』の感想エントリはこちら。
『序』を観た時の感想を端的に言い表すなら
「あの慣れ親しんだエヴァ、だけど何かが確実に違う」といったところか。
そしてこの『破』は「何もかもが違う、だけど確実にエヴァ」。
仮設伍号機と第3使徒の闘いからそれは始まっている。『序』で見せた手法とは明らかに違うものがこれから繰り広げられるんだと観客に覚悟させるに相応しいアバンタイトルだった。
ユイの墓前に立つシンジとゲンドウの精神的距離感もテレビ放映時のそれより縮まって見えた。
一度は滅びた世界で、それでも明日を信じている人々が海を取り戻そうとしている。
大人は相変わらず大人だけれど、あるべき大人としての自覚に満ちている(ゲンドウを除いて)。
そんな中、『序』から通して25トラックと26トラックをひたすら繰り返していたシンジのSDATが、異物であるマリとシンジの邂逅を端緒に27トラック目に入った瞬間から相違は加速する。
旧シリーズのシンジならば加持のちょっかいに対してはっきりと拒絶の意志を示すことすらできなかっただろう。
その後もトウジのソーダバーは外れ、
弐号機は封印、
綾波はアスカのビンタを受け止め、
アスカはその綾波の手の絆創膏から彼女が口先だけでなく本当の人間性を持つことに気づき、
そんな綾波を気遣い参号機パイロットを買って出る。
そしてシンジはゲンドウからの箴言を受け止め、
「女の戰い」の中で、
誰のためでもない自分のために綾波を救おうと決意する。
眼前に立ちはだかる第10使徒へ激しい怒りをぶつけ、
母の手を借りずにそれを討つ。
さらに綾波は綾波であって他にかけがえのないものだと言い聞かせる。
綾波の魂は救済され、
シンジと一つに溶け合いたいと願う。
なんという清々しい青春群像か。
シンジは人と触れ合うことの楽しさを心の底から噛みしめ、一瞬一瞬を大切にしたがっているように見える。
綾波の情動には確実にヤシマ作戦以後の変遷が見られ、旧シリーズのような「何をやっても結局感情はリセットされてる」印象はない。
孤高の存在を気取るアスカには加持すらおらず、話し相手はワンダースワンだけ。
そんな3人の子供達が寄り添い、互いの存在を確かめあい認めあっていく。
ヤマアラシのトゲはちくちくと痛いけれど、同時にぽかぽかする。
なんだ庵野の野郎!ちょっと丸くなりすぎて逆に気持ち悪いぞ!
パンフによると庵野秀明は物語を演繹的に構築していく人間だという。たしかにどこへ向かうのかさっぱり予測がつかなかったテレビ版の印象はまさに演繹法で紡ぎ出されたが故と直感できる。
だが『破』は――庵野とマッキーは今回も演繹的に作ったと言ってはいるけれど――実に帰納法的に構築された感が強い。
それはおそらくキャラクター達の饒舌さからくる印象なんだろう。
かつてエヴァンゲリオンなる作品を評する際に用いられた形容詞は大抵どこかに「難解」のニュアンスを含んでいたと思う。それはキャラクターの心理描写が非常に抽象的であり、受け手の数だけどころか受け手一人一人のその日の心理状態によって如何様にも枝分かれしていく曖昧さからくるものだった。
エヴァに乗ると言ってみたり乗らないと言ってみたり、やるやると言うだけで実質何もしなかったりと、庵野の中では整合性が取れていても傍目には軽い人格破綻者的な情緒の不安定さを見せつけるテレビ版&EoEでのシンジがその最たるものだ。
しかし新劇場版での彼らには明確な「なりたい自分」があり、そこへ到達する最短ルートを脇目もふらずに歩んでいるように描写されている。
それもわざとらしいほど饒舌に、だ。
饒舌さはやはり特に子供達において顕著だ。
ラミエル戦で初めて自分に向けられたあの笑顔以来シンジは綾波のことが気がかりでならず、どうすればあの笑顔にまた会えるかといつでも目の隅で追ってしまう。
綾波はゲンドウに抱いていたのとはまた別種の「ぽかぽかする」感情の発露に戸惑いつつも、その正体が知りたくて堪らない。そして(シンジへの愛情であると自覚半分に)その感情に向かって不器用に突っ走る。
アスカは「普通の女の子」として「エリート」を演じきることの楽しさを見いだし、ミサトのような頼れる格好いい女になろうと邁進する。
マリは冒頭での戦闘時、青い空を割ってシンジの目の前に降ってきた時、本部との通信を一方的に遮断して第10使徒に対峙する時と一貫して「気持ちいい」ことに貪欲なパーソナリティを見せつける。
そこに旧シリーズ・旧劇場版のまるで上に進まない螺旋階段をぐるぐる回っているかのような葛藤・懊悩は微塵も感じられない。
子供は子供の領分を知っていて、この狂った世界で精一杯に子供として逞しく生きていこうとしている。
あの綾波が他人のために何かをしたいと(しかも隠し事をしてまで)思うだなんて。
こんなエヴァを誰が予想しただろうか。きっと10年前にタイムスリップしてこの話を当時の自分に話して聞かせても一笑に付されておしまいだろう。
それぐらい旧シリーズのエヴァはキャラクター描写に関して実は希薄だったのだ。
新劇場版ではこんなシンジ達の目指すゴールが(とりあえずは)夢想できる。それはひょっとするととても自分勝手な理想の押しつけなのかも知れないが、それでもなんとなく以前のようなそれこそ「気持ち悪い」場所には着地しないで済みそうという期待が持てる。同時にそんな楽観的な期待など完膚無きまでに叩き潰して欲しいというマゾな願望もあるんだが。
演繹法で物語を作るということは「作っている本人にも終わるまで結末が判らない」ことを意味する。エンドマークを見てやっと自分が言いたかったことがなんなのかに気づく、それが旧シリーズまでのエヴァを作る過程だったのだろう。
そして今、目指すべきゴールは明示された。
『序』の感想でも触れたようにエヴァとはハッタリとそれの深読みのコラボレーションである。
ここからただのハッタリを排除し、機能するハッタリを再配列し、深読みをコントロールする作業、それが新劇場版なのだろう。
…と、堅苦しい感想はこの辺にして。
もうね!もうね!「綾波は綾波だ!代わりなんていない!!」で見事に涙腺決壊ですよ。冗談抜きでぬるい涙が頬を伝いましたよ!変な嗚咽が出ないように手で口おおいながら見てましたよ!でももう頭ン中まっ白だし画面は霞んでよく見えないしでリッちゃんが何しゃべってんのかビタイチ頭に入ってこなかったよ!いや2回分チケット押さえといて正解だった!
こんなの劇場版セーラームーンR以来15年ぐらいぶりだよ!年甲斐ねえったらねえな全くハハハハハ!
ってか月に帰れよこの変態全裸!今のシンさんにとってお前は無粋でしかねえんだよ!
当時なんだかんだ言ってシンジに感情移入して見てたから弐拾参話はそれはそれはショッキングだったわけですよ。そして綾波を語る上では「3人目」のエピソードは外せない、どんなに彼女との関係を構築してもいずれは全てを失ってしまうと思いこんでるから「うわあここで殺しちゃうのかあ」ってなもんで全然疑いもしませんよ。
その綾波が特攻をかける理由は「碇くんがもうエヴァに乗らなくてもいいように」ときた。くわえて面識がないどころか名前すら知らない「弐号機の人」をも助けようとする無償の自己犠牲の精神!戦って死ぬことそれ自体が目的だったと言ってもいいテレビ版とのメンタリティの違いですでに涙腺にはリーチかかっちゃうってもんです。
しかも綾波救出に至るまでの過程にしても直前にゲンドウから「望むものがあるなら全てを犠牲にしてでも自分で掴み取るものだ」と諭されたことがキーになっている。やっぱりシンさんはお父さん大好きなんですよってのがここでも伝わってくる。またこのシーンでは並の演出家だとシンさんが走っていくのに合わせてモノローグでリフレインしたりして脚本の意図を補強しようとするんでしょうが、そういう安直さがないところはやはり堂に入ったものと言いますか。そのくせ救い出された綾波の手にはしっかりと父子の絆をあらわすSDATプレーヤーが!!
もうなに!?なんなのいったい!?『序』でたいがい憑き物落としは終わったと思ってたのにまたバカデカい補完されて帰ってきちゃった。『序』の憑き物落としが「エヴァを好きでいたい、けれどあんな結末の後ではいまいち胸を張ってそれを口にできない今の自分」の補完だったのに対して、『破』のそれは言うなれば「エヴァが大好きで毎日エヴァのことばかり考えていた当時の自分、綾波を救ってやりたいと心から願っていた当時の自分」の補完なんだと思います。終演後にわき上がった拍手はきっとそんな「よくぞ綾波を救ってくれた!」という意味だったでしょう。少なくとも空条さんはそのつもりでした。
中盤のギャルゲー展開ではこんなことやってて大丈夫なんだろうかとむちゃくちゃ心配したけどそれがこうも効いてくるとは。シンさん男前すぎ!もう掘られてもいいッ!
もうこうなったらQではゲンドウとの父子関係修復までやっちゃうのかな。命をかけてシンさんが初号機に乗るのを助けるとかやっちゃったりしないよね?
お食事会の準備で綾波が煮えたぎらせてたのが思い出の味噌汁ってのもいい。きっと出汁なんかとってないただお湯で味噌を溶いただけの代物だろうけど。あの山のような切り傷は豆腐を手に乗せて切ろうとしたんだね…。
アスカの方も加持くんと深く知り合わなかったことで連鎖的に人間の汚い部分に触れる機会が減ったおかげで、シンジ・ミサト・綾波の誰ともちょうどいい距離感を保ったまま綺麗に途中退場できたのは上手いと思う。
そのおかげで「戦ったら友達を殺してしまう」と理性的に躊躇していたバルディエル戦でのシンちゃんと、特等席で綾波が頭からもりもり食べられてる光景を目の当たりにしながら「はあ?綾波が死ぬとか有り得ないだろ常識的に考えて。だって俺が助けるんだから!」というまるで根拠のない自信とともに一目散に走っていくシンさんの心境の対比が効いてくるんだねえ。イラストリアスさんが言うとおり都合のいいヤツだよホント!
使徒のデザインもここまでいじってくるかととても新鮮でした。鬼頭莫宏は仮設伍号機と戦ってた第3使徒らしいけど浅井さんはどの辺に関わってたんだろ?っていうか1回目に見た時は放心状態で浅井さんの名前がクレジットされてるの気づかなかったよ(;´Д`)
ところで謎の円盤UFOってどの辺のことかしら。カラーのロゴSEとかミサトさんの着メロとかマットビハイクルとか新マン関係のはすぐわかったけど、タブハベース上空にスカイ1かインターセプターあたりでも飛んでたのかなあ。イーグルっぽいのが浮いてたのは確認したけどあれはスペース1999だし…。タブハやペタニアはゴルゴダ同様イスラエルの地名みたいね。
しかしミサトさんやゲンドウたちが深く描写されるにつれてリッちゃんが浮いてきたねえ…イロウルがリストラされたせいで余計に存在意義が薄れてきた気がする。これでヘタにゲンドウとの愛人関係だけ生きてたらリッちゃんこそエコヒイキ的ポジションになってしまうような。
あとイラストリアスさんもキャラとして未知数の部分が多いまま終わっちゃったので評価しづらい。Qへの期待要素としては充分だけどね。
実は最初に名前が発表された時点で「真希波…マキナミ…デウス・エクス・マキナ?」とか思ってはいたんだけど、パンフを読んでみるとマッキーにとってはまさに「作者にとって都合のいい存在」なので案外これは当たってるのかも?
ネルフの人間でもその存在を知らなかった裏コードに精通していたり、どっからどう見てもダブルエージェント的な行動をしていたり、もしかすると今回の『自由を司る天使』タブリスは彼女だったりするんだろうか。
あのKY変態全裸が言う「初めまして、お父さん」はひょっとして正しくは
「お義父さん」と書くんじゃないかとか(;´Д`)
エンディングは『序』に引き続きBeautiful World。
TV版でもFly Me To The Moonには複数のリミックスが存在していたので「エヴァのED」という意味では下手なタイアップでころころ曲を変えるよりも正しい選択だったと思うですよ。
急=Qとなると完結編はやっぱりAなのかなあ…。
Q(Question)=Quickening:加速・蘇生・胎動なので
A(Answer)=Awakening:覚醒
とかありがちな予想してみた。
ともかくますます完結するまで死ねないという思いを新たにした一日でありまったヽ(`Д´)ノ
…えーっと2015年までには公開されるよね?